裸の王様☆〜真実を観る目〜
わたしの母は
わたしが確か5歳か、6歳の頃に
剃髪し(頭を丸め)尼僧となりました。
その時のことをわたしは全く覚えていないのですが
大人になって母から
あの時、周りの人が
「なんで尼さんになったん?」
って聞いてきたら
なっちゃんが
「観音様が剃れって言うたんよな?お母ちゃん。」
(母は、観音様をお祀りするお寺の長女として育ちました)
って言ってくれて
みんなも納得してた…
というような話を聞きました。
その事実(母が剃髪した理由)は
今となってはもう分かりませんが
当時幼子だったわたしがなぜか発した言葉は
きっと「真実」だったのだと思います。
人には、触れられたくない「事実」というものがあったり
この世界には、必ずしも「事実」を明らかにすることが
幸せに繋がるとは限らないこともある…。
たいせつなのは
「わたしにとっての真実」。
真実は人の数だけある。
それは
「わたし達一人ひとりがどう生きていきたいか」
に繋がるもの。
目の前に起きていることを
自分の真実に沿って捉えているのか?
それとも、周りの声、強い声にただ同調しているだけなのか?
日々のその選択の連続の中で
これから向かう未来が決まっていきます。
「裸の王様」
昔、洋服がとても好きな王様がいました。
ある時、服職人がお城にやって来て
「愚か者には見えない素晴らしい洋服を作りましょう」
と言うと
もっと素晴らしい服はないものかと思っていた王様は喜んで
作らせることになりました。
作っている様子を、正直者の大臣に見に行かせると
大臣には、洋服が全く見えなかったのですが
愚か者だと思われたくなくて
「王様、とても素晴らしい洋服でございますよ」と伝えました。
次に、まじめな家来に様子を見に行かせると
家来も同じように、洋服が見えなかったのですが
愚か者だと思われたくなくて
「素晴らしい洋服でございます」と伝えたので
王座は、すっかり信用して
出来上がった洋服を着て
町中をパレードすることにしました。
町の人たちは
「王様はどうして何も着ていないんだろう?」
と思っても
「愚か者には見えない洋服らしいぞ」
と聞くと
みんな口々に
「王様、素晴らしい洋服でございますね」
と褒めたたえました。
その時、一人の子どもが
「王様は、何も着てないよ!裸の王様だ!」
と言ったので
周りの人たちも
「何だ、やっぱり裸だったのか。みんな、見えるフリをしていただけなんだ。」
と気付いて、笑い始め
王様は恥ずかしくなりました。
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もしかしたら、新型コロナウイルスのことも
このお話に通じるようなところがあるかもしれません。
事実は、この童話のように単純なことではないと思いますが
「あなたにとっての真実は何か?」
ということを一人ひとりが問われているような気がします。
参考までに、ぜひ
京都大学、上久保教授の動画(日本人はなぜ、重症者数が少ないのか、なぜ普通に生活しても安全なのかという確認)や
厚生省のホームページ(正確には、報道されている数字は、感染者数ではなく、陽性者数で、そのうち実際入院を必要とする人はとても少ないということの確認)
毎年のインフルエンザ死者数との比較のデータ(コロナによる死者数はずっと少ないことの確認)
など、見てみてください🍀
今日も読んでいただきありがとうございました💛
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